日赤山田病院3 [伊勢の風景]
日赤山田病院3 (I様所蔵資料)
今回は、I様所蔵の絵葉書のうち、「日本赤十字社三重支山田病院絵葉書」を紹介します。作成は絵画研究会です。作成年代は大正14年以降です。なお、絵葉書の画像は長辺を350ピクセルに縮小しています。絵葉書の画像をクリックすると原寸大になります。
たとう
正面
現在の山田赤十字病院
第三号病舎廊下の一部 第三号病棟病舎
第三号病舎かどうかは不明ですが、右側の建物がよく似た形をしています。
「虹の苑」側から南東方向を写した写真です。この建物も、絵葉書とよく似た形をしています。
朝礼
患者慰安室
院歌
2008-03-16 09:21
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コメント(4)
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またまたこんにちは。
お邪魔します。
写真をアップしてくださったのですね、ありがとうございます。
ほんのちょっと 父の実家が写ってます。お店の名前も写っていて懐かしい限りです。
子供の頃、長い休みになると、「おじいちゃんの家」に出かけて行き、遊んでいるうちに病院に入ってしまい、動物の声にびっくりして 走って逃げ帰ったりしていました。 そのたびに 祖父に笑われて。
祖父の家は今はお店ですが、かつては お伊勢参りの旅人のための旅館(というか旅籠)でした。
旅籠をやめてからも改築せず、細かい部屋がたくさんあり、表も裏も広い土間で 2階には布団部屋。台所の前と表玄関に2箇所階段があって、それはもうきれいにみがいてあったものです。
らんかんから外を見るのが大好きでした。
テレビの時代劇で旅籠が出てくると、「おじいちゃんの家」の火鉢のにおいとか、朝の赤だしの味噌汁のにおいとか思い出してとても懐かしくなります。
病院のお話とは全然違う話でごめんなさい。お礼を言いたかったので書かせていただきました。
ありがとございました。
by めろそん (2008-06-18 01:16)
めろそんさん有り難うございます。
>旅籠
私はこちらの方が気になります。
日赤前にも旅館があった事は存じませんでした。
今後とも伊勢の話をお聞かせ下さい。
皆様によろしくお伝えくださいませ。
by jyugemu (2008-06-18 20:50)
半月関係のサイトからふらふらここにたどり着きました。さっそく映画の影響!って感じです。
こんなに旧き伊勢のことを詳細にアップしていただいてうれしい限りです。ボクは何を隠そうその旅籠だった家の住人だった者です。おそらくめろそんさんとは従妹の関係になりますが、どなたかはわかりません(笑)
同世代なのですが、住んでいましたのでかすかな記憶があります。今から50年前頃確実に旅館業を営んでいました。
なぜわかるかというと、まだ幼稚園児くらいだったボクを泊まり客が膝の上にのっけて、酒を飲んでいたのを覚えているからです!
ただ、その頃の客は主に遠洋漁業で伊勢湾にやってきた船員たちで、がっしりした日に焼けたおじさんたちだったことを幼心に覚えています。
その客の賄いを母がしておりました。
なぜ、二見や鳥羽から離れた日赤前に船員が泊まっていたかはわかりませんが、我ながら風変わりな思い出です。
言えることは、昔の伊勢は現在よりも遥かに活力に満ちていたし、外から訪れる人々も多かったはずです。
たまたまボクのブログで、この旅館の記憶を描いてありますので、よかったらご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/licolis2005/e/aad93494db08ecf5c4999b79915908bc
これからもよろしくお願いします。
by リコリス (2010-03-14 04:28)
リコリス様、コメント有り難うございました。
伊勢についての貴ブログ拝見しました。
これからも、ご指導・ご鞭撻の程お願い申し上げます。
by jyugemu (2010-03-14 19:54)